思いつくままに

思いつくままに書きたいと思ったことについて書いています。

仕事とプライド

「プライドなんて生きてゆくには邪魔なだけの代物よ
でも‥‥いい仕事をするためには、なくてはならない。」

 

逆転裁判3で若干13歳にして検事になった狩魔冥逆転裁判3時点では19歳)が主人公の弁護士――成歩堂龍一に言った言葉です。

 

ゲームをプレイしていて聞いた時、かなり衝撃を受けました。

 

世間にはこの作品の名言! 的なものが数多くありますが、個人的にこの台詞こそが明言なのではないかと思っております。

 

仕事の中にはダイレクトにお客さん等に影響を与える、またすぐに誰かしらの迷惑になるわけではなく、後々正す必要性が出てきたりはするもののその時々においては個人の裁量にわりと任されてしまうものが存在します。

 

というかすると思います。

 

ダイレクトに影響のあるものをどうしても優先的にしっかりと取り組みがちです。やらないと誰かしらから指摘されますし、モチベーションも上がりやすいです。

 

けれど、それってどうなんだろうか?

 

これってどれだけプライドを持ってこなしていけるか、自分との闘いなんだななんて最近気づきました。

 

 それって果たして正しいことか?

 

誰かにとやかく言われなければやらないって自分の姿勢としてはどうなのか?

   

そんなことを自問するようになってからは、自分はプライドを持って質を上げられるよう、日々真摯に仕事に取り組んでいきたいななんて思うようになりました。

 

色々と忙しかったり面倒だったりすると、決意がどんどん揺らいでいったりおざなりになりがちになったりするので、なかなか難しかったりはするのですが……。

 

というか働くのってツラい(´・ω・`)

 

 ちなみに逆転裁判、すごく良いゲームで私は現在1~3と逆転検事をクリアまでプレイしました(・∀・)

 

 

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「聲の形」と世界で一番不幸な人間と二番目に不幸な人間のどちらになりたいか

心機一転、ブログを移転しました。

 

3日坊主になりがちですが、そうならないようになるべくブログの方も書いていけたらなと思います。

 

そんな訳で、移転に伴う前口上はこの辺にして本題に入りたいと思います。

 

これから書くことは実はpixivのエッセイ漫画で話題になっている某サイトの日記でそのサイトの意義を全然意識せずに書いたものになります。(なので初出は10/2。今回掲載するにあたって加筆修正有り)

ちなみにそのサイトはやっぱり自分にはこういう活動は性には合わないし、自分的に自分を見てなぜだかとても気持ち悪くなったので退会しました。

 

という訳で今度こそ本題に入ります。

 

 先月末ぐらいに今話題の映画「聲の形」を観に行って来ました。

 

唐突に映画を観に行きたくなり観てきた「君の名は。」以来、映画館の作品だけに集中できるすばらしさにハマってしまい、また何か観たいなと思って観に行ってきた次第です。

 

 前情報を何一つ仕入れずに。

 

 なので結弦が西宮さんと付き合ってるって言った時、西宮さんはレズなのか!? とビビリ、彼氏だって言った時はボーイッシュ系だけど可愛いのに男だと……!? と真に受けて驚いたり、違う意味でドキドキしました。(自分の見立て通り女の子で良かった)

 

 西宮さんの表情が可愛かった。

 

 彼女の表情が豊かで表情の移り変わりに魅せられてました。

 

 また二転三転する物語にすっかり引き込まれました。

 

 西宮さんをいじめる小学生の頃の将也には共感できないけれど、植野さんの気持ちは少しわかるなと個人的に思いました。

 

 「場を乱されようと障害者だから仕方ない」という世間の大衆的絶対論理に支配されているから何も表立って文句は言えないし、相手はもちろん空気なんか読まないし、すごくしんどくてストレスになるしどうしようもできなくて、結果冷たい行動を取ってしまう、嫌いになるというのはある種理にかなってるところもある気が個人的にはするのです。

 

 川井さんの保身の走り方は優等生的一般人あるあるだなという風にも見えました。

 

 西宮さんは西宮さんで悪意はない、聴覚障害が圧倒的にネックになっているだけで、色々な意味で辛いなと思いました。


 「聲の形」を通して西宮さんという社会的弱者を見て、個人的に第22回電撃大賞受賞作の「ただ、それだけでよかったんです」の作中で菅原拓が「世界で一番不幸な人間と二番目に不幸な人間のどちらになりたいか?」という問いを自問自答している場面をふと思い出しました。

 

 その自分がふと考えた問いに菅原拓は迷わず、世界で一番不幸な人間になる方を選択します。

 

 理由は飢えているアフリカの子供達(貧困の代表格)には募金等で愛を注ぐが、運動神経も悪い、勉強も大してできない、人間力テストも最下位、友達もいないぼっちな自分には誰も愛を注がないからです。

 

 私はそれにものすごく共感を覚えると共に、面白いことを言うなってこの作品を読んだ時思いました。

 

 不幸は目に見えて酷いものでなければ不幸としてカウントされない。不幸を定義する形が見えなければそれは不幸にならない。

 

 「聲の形」を観ていて西宮さんという聴覚障害者は可哀想だと愛を注いでもらえるけど、健常者の目に見えない不幸は不幸とカウントされないんだなというようなことも個人的には考えてしまいました。